仏の顔

「仏さまのような」といえば優しさの代名詞のようにいわれるのにどうして恐い顔をした仏さまがいるか?
恐い顔の代表としては「お不動さま」と呼ばれる不動明王(ふどうみょうおう)でしょうか。眼をカッと見開き、牙をむいた忿怒(ふんぬ)の相で、手には剣と綱を持ち背後には真っ赤な炎が燃えさかっている恐い姿です。この不動明王と降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の五大明王、また、愛染明王(あいぜんみょうおう)、大元帥明王(だいげんすいみょうおう)、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)と呼ばれる明王などがいますが、おおかたは、不動さまのような忿怒相をしています。明王とは、愚闇(ぐあん:
おろかで道理にくらい)を破る智慧(ちえ)の光明(こうみょう)をもつという意味です。

そして、一筋縄(ひとすじなわ)ではいかない人を導くために忿怒の相をしているのです。人間もいろいろですから優しい言葉だけではきいてくれない人もいます。そんな人には眼をむいて凄(すさ)まじく叱(しか)ることも必要です。明王は、実は優しい如来の使いですから、その忿怒相は、なんとかこの人に立ち直ってもらいたい、しっかり歩んでもらいたいという心の表れで、内心は慈悲そのものなのです。いずれも、私たちが道を踏みはずさぬようにと願って恐い顔をしているのです。

eお坊さんねっと 説話集より

参考:「天台宗」法話集より抜粋・編集

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